ブランド米は誰が作っていたのか


 魚沼コシヒカリ”は、いつからブランドといわれるようになり、“あきたこまち”・“はえぬき”・“ひとめぼれ”などは、ブランドといえるのでしょうか。

 産地JAは、米卸問屋・スーパー・量販店・外食産業など、一度に大量に購入してもらえたり、年間通して購入してくれる大手ばかりを見ていて、一度の購入数や販売シェアが小さい米屋については、「そんな小さすぎるロットは相手に出来ない」と、全く見ようとはしていません。
そして、「米屋はウソツキばかりだから信用できない」と、ハッキリ言い切っている、生産者や生産者団体も、まだまだ沢山います。

 しかし、“魚沼産コシヒカリ”・“あきたこまち”・“有機栽培米”などのブランドを育て上げたのは、米卸問屋・スーパー・量販店・外食産業などではなく、実は、対面販売を武器としている米屋であり、自分が認めた物を消費者に紹介し、食べて納得してもらって、知り合いに口コミで広げていってもらうことで、強いブランドを作っていたという、過去の事実は変えようがありません。

 “魚沼コシヒカリ”についても、以前から、一部の料亭などでは既に知られていたものの、一般の消費者に対して“魚沼コシヒカリ”を伝え始めたのは、平成元年の月刊料理雑誌が始めてとなるはずです。
実はその時、今では想像すら出来ないかもしれませんが、“宮城登米ササニシキ”も同時に、特徴の異なるトップレベルのお米として、月刊料理雑誌で堂々と紹介していたのです。
しかしその後、“ササニシキ”に不作が続いたこと、食文化が和食から洋食へ代わっていったこと、消費者の好みが、アッサリとした柔らかいお米ではなく、粘りと甘みの強いお米に代わっていったことなどがあり、片方の“魚沼コシヒカリ”だけが残ったわけで、さらに、スーパー・量販店が、こぞって“魚沼コシヒカリ”を扱い始め、“魚沼コシヒカリ”の偽物事件で、強いインパクトを持ったお米となっていったのです。(思い出しましたか?)

 自分たちはその後“ササニシキ”の後釜にと、“あきたこまち”を消費者に対して伝え始めましたが、その当時はスーパー・量販店に勢いがありましたし、産地自身も自らスーパー・量販店に、安い値段でお米を産直納品していたことなどもあって、“あきたこまち”は“ササニシキ”のようなブランド米としてではなく、特売米として認知されてしまったのです。

 “ササニシキ”を失い、“あきたこまち”も失ってしまったことで、“はえぬき”・“ひとめぼれ”などで第3のブランドを作るか作らないかの決断をしなければならなくなってしまったのですが、自分たちは“あきたこまち”の二の舞を嫌いましたし、産地も「米屋なんか」と見下していて相手にはしてもらえなかったので、新しい銘柄で第3のブランドをを考えることを止めてしまったのです。
その結果、“はえぬき”・“ひとめぼれ”の名前を、消費者は知っていても食べたことが無いという、中途半端な存在になってしまった銘柄が多いいのです。

 ブランド米を作ることを止めてしまってから数年がたち、久しぶりに新しいブランド米として仕掛けた銘柄が、スズノブの「佐賀米販売計画」の“佐賀ひのひかり”でした。
そのときは、自分の店だけの取り組みでしたし、1銘柄だけをブランド化するのではなく、“佐賀米”として、佐賀県の全ての銘柄をブランド化することも考えていました。
「佐賀米販売計画」によって誕生したのが、“七夕こしひかり”・“上場こしひかり”の2銘柄で、スズノブ2号店(玉川島屋)の看板銘柄として、栽培方法も変更して新しく作り上げた、こだわりのブランド米が“あうちひのひかり”です。

さらに、そのときのノウハウを使って、17年産米から取り組んでいるのが、北海道を元気にさせたといわれている“北海道米プロジェクト”、“埼玉米プロジェクト”などです。